人付き合いが下手で大学生活が困難で孤独でも、卒業する方法

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人付き合いが下手な人、対人恐怖気味の人は、大学生活を送るのも大変です。
人付き合いが下手でも大学生活を送り、卒業して、社会人になる方法を考えてみましょう。

人付き合いの下手な人が、大学生活で苦労すること

人付き合いが下手な人、対人恐怖気味の人は、大学生活の様々な面で苦労します。
家と講義室の往復だけで大学を卒業できるなら少し楽ですが、大学生活は講義室で講義を受ける以外にも人とのやりとりが必要なことも多々あります。

文学部や工学部などでも、体育の授業があって学生どうしでやりとりする必要があるかもしれません。
実験の授業があれば何人かの学生でチームとして取り組む必要もあります。
単純に講義を受けるだけでも、多少は先生とやりとりが発生することもあります。
卒業研究も他の学生や先生とやりとりが必要です。

このような他人とのやりとりは社会人ならそれほど問題にはなりませんが、まだ若い年代の人で、なおかつ人付き合いが下手な人や対人恐怖気味の人なら、非常に苦労することもあります。

人付き合いが下手でも問題なく大学を卒業する具体的な方法

友人がいないことを気にしない

一般的に、高校や大学時代は青春時代で、友人たちと共に青春を謳歌するようなイメージが持たれています。
しかしこれはあくまで一つの例であり、実際は十代から二十代くらいの人でいろいろな苦労を抱えて、華やかな青春時代のイメージとはかけ離れた生活を送っている人は大勢います。
友人付き合いが全くなく孤独に暮らしている若者も大勢います。

大学を卒業できるかどうかということと、友人がいなくて孤独だということ、の二つ、またそれ以上のことを同時に気にしていると処理しきれなくなり全てがうまくいきません。
まずは大学を卒業することを目標にして、友人が0人でも気にしないようにするとうまくいきます。

親しい人間ができる機会は大学卒業後にもあります。大学卒業後の人生でも人付き合いの機会は常にあります。

先生と親しくならなくても良い

卒業研究の担当の先生と親しくなる学生もいます。

また、普通の講義を受けているだけでも、中には興味深い話をする先生がいて、個人的にも話してみたいと思うこともあります。

自然に親しく話せるような状況なら話すのも良いでしょう。

先生方と親しく話してみたくても、とても気安く話せるような空気でないなら無理に話さない方が良いでしょう。

無理をしてうまくいくことはまずありません。

先生の著書の読者として感想を送ってみる

大学の先生なら、普通の論文だけでなく、一般的な書店で購入できる専門書を執筆している場合も多いです。
そこで、先生と話してみたいけれども話す機会がないなら、その先生の著書を購入して読み、一読者として感想を手紙で送ってみると良いかもしれません。

手紙の送り先は出版社にします。

以前は本を探すのも大変でしたが、現在はインターネットがあるので著者名で検索してその先生の執筆した本は簡単に探せます。また古い本でもネット通販で古本が簡単に買えるようになりました。

ネット通販の支払い方法

ネット通販を使う時、大学生ならクレジットカードを持っていない人が多いかもしれませんが、コンビニ支払などを選択すれば問題ありません。

孤独でも良いので、とにかく卒業することだけを目標にする

大学生活は友人や先生方と親しく付き合ってこそ意義がある、という風潮があります。特に若い者の間ではそのような風潮は強いです。

実際はそのようなことはありません。大学は学問をするところで、一人で学問をすればOKです。

卒業することと、人付き合いを深めること、などを同時に達成しようとすると無理がかかって頭も混乱してうまくいきません。
とにかく卒業することだけを目標にします。

とりあえず通常の講義で単位を取得できるものを優先する

実験など人付き合いが必要な授業もあれば、ただ講義室で講義を受けるだけの授業もあります。

必修科目は当然ですがまず取ります。

選択科目については、とりあえずただ講義室で講義を受けるだけで取得できる単位を優先して取ります。

それでも卒業要件単位に届かない場合、仕方ないので人付き合いが必要な科目も取っていきます。

そのように単位を取得しやすそうな科目から優先的に受けて単位を満たして行きます。

試験で合格点を取るのが難しい科目は2年がかりで単位取得する

試験で合格点を取るのが難しい科目もあります。

友人付き合いのある人なら知り合いを通じて試験の過去問を入手し、試験対策をし、1回の試験で単位を取得できます。

ところが、友人付き合いのない我々の場合は過去問を入手する手段がありません。
そこで、難しい科目は2年がかりで単位取得する方法をとります。

まず授業を選択し、1回目の定期試験を受けます。その際、できるだけ問題の内容を記憶しておくように心がけます。
想定通り、難しすぎてその年は単位を落とします。

翌年、再びその科目を履修し、試験を受けます。
昨年試験を受けたときの記憶でどのような問題が出るのか知っているので、それを元に試験対策をしておきます。
これで何とか「可」くらいで単位を取得できます。

異常な先生の授業は無理して受けない

世の中には色々な人がいて、大学の先生にもまともな人もいれば異常な人もいます。
朝から酒を飲んで講義をしていたり、学生たちを見下して「貴様らはゴミだ」という趣旨のことをあからさまに言ってくる先生もいます。

異常な先生の授業はできるだけ履修しないようにします。

異常な先生の科目でも必修科目なら仕方ないので履修します。
「このような異常な人間でも社会生活を送れるのか。社会は厳しいと思っていたが実際は甘く、楽な人生を送っている人間は多いのかもしれないなあ」と思いながら授業を受けます。

もし選択科目なら、初日の授業に行ってみて先生が異常な人物ならできるだけ履修しないようにします。

保健管理センターは自分に合えば行き、合わなければ去る

体の不調に限らず、精神的に大学生活が困難なときに保健管理センターに行く人もいます。

保健管理センターの医師と話がかみ合うなら、少し通って相談してみます。

保健管理センターの医師もただの人間なので、過信しないようにします。
もし医師と話が噛み合わないなら無理せず、保健管理センターに行くのをやめます。

一般的な大学生の就職活動はしてもよいし、無理ならしない

大学生が現役ストレートの新卒採用を目指して就職活動をします。

しかし、人付き合いのない孤独な人ならそういった就職活動が困難に感じることもあります。

無理そうなら周囲の大学生と同じような就職活動はせず、卒業後にハローワークに行って仕事を探します。

同窓会名簿で存在しないことにされても気にしない

人付き合いが下手な人なら、同窓会に入会費を払ったのに存在を無視されることもあります。

私も同窓会の入会費を払って領収書もありますが、その後の継続会費支払いの連絡やその他の連絡は一度も来ません。
たぶん同窓会名簿で「死亡」にされているか、そもそも名簿に私の行自体が存在しないのかもしれません。

存在を無視されるケースはよくありますが、気にせずに暮らします。

その他、存在が無視されても気にしない

人付き合いが下手な人なら、色々な場面で自分が存在していない前提で動いていくことがよくあります。

それがあたしさ(俺さ)、と思って気にせずに暮らします。

中国などのアジアの古典、ギリシャなどのヨーロッパの古典、仏教などの宗教の教典、その他世界各地の様々な古典や近代の文学などで先人たちの思想を読むと、光が当たって自分の存在が認められ華やかに明るく生きる人生を称賛しているようなものはあまり見当たりません。
多くの先人たちが、存在を認められず、他人から賞賛されるでもなく、華やかさとは無縁の人生でも、自分のするべきことを淡々と行って利他の精神で生きて行動して命の尊厳が守られる世界を次の世代に受け継いでいくことを推奨しています。

例えば宮沢賢治の書いたものに出てくるデクノボーや、常不軽菩薩や、「神は俺を見捨てた」と思い絶望して死んだナザレ村出身のイエスなどです。

以上のような方針で進むと卒業できます。

人との交流は卒業後の人生で考える

大学卒業後も社会の中で生活するので人付き合いが常にあります。
人と交流することは社会人としての生活の中で考えます。

会社員になれば会社員どうしの付き合いがあるかもしれず、労働組合に入れば組合員どうしの付き合いがあるかもしれず、文化活動やスポーツの習い事を始めてみれば習い事の仲間同士の付き合いがあるかもしれず、政治運動や社会運動に取り組めば運動の仲間同士の付き合いがあるかもしれません。

十代二十代の若者は明るさ至上主義のような人が多くとても付き合いにくいですが、三十代以上の中高年になればそのような雰囲気もなくなり、比較的付き合いやすい人が増えてきます。

参考書籍

対人恐怖 (講談社現代新書 981)

内沼幸雄著 対人恐怖 (講談社現代新書 981)

健康
筆者
わたし

差別や暴力が渦巻き、弱い者や不器用な者や真面目にやろうとする者を嘲り笑い、利他的な行動を偽善呼ばわりし、「老害」「シルバー民主主義」などの悪意の言葉が流行し虚構の世代間対立を煽る言説を信じてしまう人は多い一方で、実在する階級対立を認識できている人は少数しかいない今の日本社会と、差別や犯罪の温床と化したSNSや動画共有サイトなどのインターネットの世界に恐れを抱き、今日も怯えながら暮らしています・・・

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